人気ブログランキング | 話題のタグを見る

南大塚萬重宝アーカイブ・2004年4月号

*****ミナミオオツカヨロズチョウホウ*****

*******南大塚萬重宝***2004年4月1日号***


ヘッドラインニュース

 大塚もご多分に漏れず、例年より早く桜が満開になった。北口ピンク通りの桜並木は風俗街に面しているものの、駅前のため北大塚の住人には有名だ。しかし南口の巣鴨信用金庫を挟んだ両側の道の桜並木は、ピンク通りに負けない鮮やかさである。花盛りの時期も良いのだが、KKベストセラーズ本社あたりの風に舞う花びらの美しさは、一層興をそそる

狭いけれど老舗の打ちっ放し、山手ゴルフ場の斜前にある『菅原神社』は、本殿の新築工事のため、現在は境内に立ち入りが出来ない。しかし境内を通らなくては自宅に入れない人は、どこから入るのだろう? 向かいのゴルフ場に呼応すべく、まだ骨組みだけのとっても可愛らしい本殿が出現し、銅葺きの屋根が日の光に輝いている。

都電荒川線・巣鴨新田電停の少し手前に踏切がある。線路の向こう側は東京電力の敷地のため以前は東電専用だったが、一般歩行者も通れる踏切になった。ここを渡ってテニスコート脇の細道を行くと、折戸通りまで抜けられるようになったのだ。この辺はアパートや住宅が密集し、緊急時に避難出来る道がないためだろう。因みに東電の敷地を出て最初にあるアパートの入り口には、手こぎ井戸がある。

萬重宝でもお馴染みのスターフルーツ。ここで一番元気なお兄ちゃんが、3月一杯で折戸通りの店を離れ、駒込の霜降銀座にある本店に異動してしまった。店頭で果物を担当し、いつでもむちゃくちゃ愛想が良く、「よしっ、800円でいいや!」と景気よく端数を切り捨てるきっぷの良さで、界隈のおばちゃん達に好かれたお兄ちゃん。霜降銀座でもカリスマ店員になること請け合いだ。


大塚東福寺物語

大塚で神社といえば天祖神社であるように、寺というえば東福寺ということになっている。南大塚の住人の投票所にもなる巣鴨小学校の裏ッ手に、観光山東福寺はある。この界隈は千石巣鴨に向かって急勾配になっており、その山を切り崩して作ったのがこの寺。元々小石川にあったのを、元禄時代に大塚に持って来てしまったという。そんなに歴史の古いものが、大塚にあるわけがないと思ったら、案の定文京区からの頂き物。「大塚」の地名も文京区からの頂き物。頂きますものは、何でも頂く大塚だ。
 山門の石段脇に、いきなり『疫牛供養塔』がで〜んと控えている。牛乳搾取業巣鴨支部が明治43年に建立したものだ。大塚には牧場が沢山あったという話が、ここで立証される仕組み。「搾取業」という謙虚なネーミングに好感が持てる。肉も乳も牛から勝手に頂戴していることを、この際思い知るべきであろう。
 標準的な本堂、巣鴨総鎮守の神様を祀るお堂、その奥に墓地が広がっている。いかにも山を削ったという感じの崖、その向こうに一般住宅が軒を連ねる。馬頭観音が集まった通路を横目に、一本の大木がある方に向かうと、その根元辺りに遅塚家の墓がある。その中に、不動明王が描かれた鎧兜を身につけた武士が腰をおろす姿を刻んだ石碑がある。遅塚九二八という名の侍らしい。何者かは不明だが、その立派な装束から察するところ、身分は低からぬ気がする。
 本堂を挟んで墓地の反対側の境内に、日本文化会館があるが、ここも謎である。名前は大きいが、その割にこじんまりとした建物だ。この2階に、週に2日だけ開く東福寺児童図書館がある。絵本と子供向けの読み物がさっぱりと並ぶ、静かなスポットだ。
 椋鳩十、坪田譲二等といった懐かしい名前が、目に飛び込んでくる。かと思えば、東西五月社刊、吉川英治文庫の『左近右近』昭和35年初版本もさりげなく並ぶ。「あとがき」ではなく「あきとが」という笑える誤植のあるレア物だ。その閲覧室の奥には、愛澤和夫(って誰?)記念文庫と書かれた部屋があり、扉の隅から少なくはなさそうな蔵書が見えている。
 境内にある別の石段脇には二宮金次郎といい、前後左右も判別不能の彫刻といい、どこまでも謎に満ちた観光山東福寺である。

編集後記

先月号でお伝えした深川のアートイベントの続報です。イベントの正式名称は『第4回 花みずき 街角誰でもアーティスト』です。私の路上ペンギン写真が十数点、資料館通りの店舗に展示される予定です。期間は4月19日〜29日。また24日には、銀の輔ツーショット写真大会を催す予定です。仔細はHPをご覧下さい。
http://www014.upp.so-net.ne.jp/HOBO/
よろしくお願い致します。


#####ミナミオオツカ・ヨロズチョウホウ#####
     誇張スレドモ嘘ハツカナイ
     
 変酋長・タカノヒロシ AB型 六白金星

###愛ノ町、大塚ノ今日ヲ貴方ニダケ伝エル###


# by go-go-shiosenbe | 2018-07-07 15:11 | 南大塚萬重宝

南大塚萬重宝アーカイブ・2004年3月号

*****ミナミオオツカヨロズチョウホウ*****

*******南大塚萬重宝***2004年3月1日号***

ヘッドラインニュース

サンモール大塚にある『魚荘』閉店の件は、前号報告した通りだが、その後、今度は『魚忠』という魚屋に変わった。しかし店構えも品揃えも、これといった変化が確認出来ない。未確認情報だが、置かれているレジも以前と同じ物らしい。『魚荘』と『魚忠』の関係は不明だが、大塚人が魚嫌いではなかったことだけは証明出来たと思われる。

北口商店街にあるブラジル雑貨屋は、多数のビデオも並び、在日の人々御用達の本格派。ここに1個150円のブラジルアイスなるものがある。看板には3種類のテイストが書かれており、曰く「とうもろこし、ゴアイバ、焼きココナッツ」である。どれも想像し難い風味だが、それ以上に試食し難い風味でもある。

南口・巣鴨信用金庫の裏に、『おまもり』という日本酒バーがある。ちょっとした洋風の肴と、各種日本酒を取り揃えている。特に3種の酒がグラスに入って供されるお試しセットが、なかなかにリーズナブル。ただ、ちょっと店内の照明が暗過ぎるきらいもあるが、いかがなものだろう? 

極たまにではあるが、駅前にストリートミュージシャンがいることがある。スタイルは定番、ギターの弾き語り。立ち止まる人も殆どいないのだが、いつも一人だけ女の子が傍らに立っている。妙に説教じみた「人生応援歌」的な歌を歌う彼。もしかしたら自分自身を応援しているのかも知れない。いずれにしろ大塚に来るという一点において、その音楽姿勢に無理があると思う。


大塚車庫前物語

 手元に一冊のミニアルバムがある。表紙には『都電16バン さよなら16番』という文字と路面電車の絵、裏表紙には『昭和46年3月17日』と記されている。大塚と錦糸町を結んでいた16番が大団円を迎えた。これに乗って小学校に通っていた私は、この日、定期券を何度も使って乗り降りを繰り返し、撮った写真を数枚貼り付け、小さなアルバムを作ったのだった。そのアルバムの中に、当時大塚にあった都電の車庫の写真が妙に多く含まれている。よほどここが気になっていたに違いない。
 外壁に煉瓦を使った建物は、子供心にどっしり堂々と見えた。正面玄関の周りだけアーチ状に意匠が施され、薄暗い屋内を覗き込むと、ちょっと恐い空気が淀んでいるようだった。ぼけた写真によると、屋上部分を囲う外壁には、エンブレムのような装飾が窺える。いかにも手作りの「さよならパーティー会場」という看板と紅白の幕が、もの悲しい雰囲気を盛り上げている。
 建物の角に、朱に塗られた電柱が一本。その下部には「大塚車庫前」というホーローの看板、上部には赤地に白抜きの硝子看板があり、夜になると侘びしく点灯する仕掛けになっていた。その点灯袖看板の脇に一枚、運転手専用の確認板が付いていた。そこには、錦糸町、御徒町、うまや、伝通院等と描かれていた。電車が終点大塚駅に着く直前、運転士がこの看板を見上げる。どこかの文字に電気が点く。これで次の行き先を確認し、車両の行く先表示を変える仕組みになっていた。うまやとは、厩橋のことだ。
 私はこの確認板が欲しくて堪らなかった。終点大塚駅のホーロー板よりも欲しかった。煉瓦造りのビルを通り過ぎざま、運転士がこの確認板を見上げる仕草が格好良かったからだろうか? 車庫の中がどうなっていたのかよりも、あの確認板の行く先の方が気になった。
 大塚車庫は都営アパートになった。この前を通ると、ふと煉瓦ビルの隅に立っていた確認板のことを思い出す。


編集後記

この4月、深川で催されるアートイベントに参加することになりました。詳しいことは次号でお話し出来ると思います。大撮影大会なども計画中ですので、現代美術館などへいらっしゃることがありましたら、是非お立ち寄りいただければと思います。


#####ミナミオオツカ・ヨロズチョウホウ#####
     誇張スレドモ嘘ハツカナイ
     
 変酋長・タカノヒロシ AB型 六白金星

###愛ノ町、大塚ノ今日ヲ貴方ニダケ伝エル###


# by go-go-shiosenbe | 2018-07-07 15:09 | 南大塚萬重宝