本の雑誌ストーカー

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 そうか、僕は『本の雑誌』の追っ掛けだったのか…。金曜日、本の雑誌の菊池寛賞受賞をいいこいいこする会に銀の輔と出掛けて、僕は再確認した。
 新宿浪漫房で催された酒宴は、業界関係者が一杯の華やかで賑やかなイベントだった。僕は編集部の人しか知らない。すぐ近くに椎名さんがいたんだけど、やっぱ声が掛かけられない。でも僕を呼んでくれる元社員さんがいて、銀の輔のことも覚えてて、ようやく楽しい宴会の仲間になれた。
 何十年も前のある日突然、僕はミニコミ・月刊イカの筋肉を作り始めた。引き出しの奥から出てきた藁半紙に、日々の行動を筆ペンで書き、両面コピーして、その頃読んでいた雑誌の編集部に勝手に送りつけていた。
 その10号目くらいの時、第2回薄バカコピー誌コンテストってのが本の雑誌で行われ、イカ筋に1票入った。しかも誌面の写真が載ったんだ。嬉しかったなぁ。これがメディアに載った最初。大好きな雑誌に載ったんだもの、そりゃ有頂天になるよ。
 書庫を見たら、流石にヒトケタ号は無かったけど11号から揃ってた。神保町のアクセスって小さな本屋へ買いに行ってた。で、いつからか三角窓口にやたら投稿するようになり、新宿御苑前の地下で開催されるトークライブにも行き、サイン会に押し掛け、紀伊国屋ホールでやった100号記念イベントでは盗み撮りをし、ザ・ギンザの展覧会では沢野画伯描くヤカンを頂き…、とまぁ、こんな調子だった。
 そのずっと後のブックレビュー連載や銀の輔写真を使ったフォトコラムをやらせて貰って、めちゃ嬉しかったけど、その発端は薄バカコピー誌大会だった…そんな話を、僕の真ん前にやってきた目黒考二さんに話したら、いきなり手をぎゅっと握ってくれて、「あ〜イカの筋肉の高野くんね!」って言ってくれた。そういやトークライブ、やってたねぇ、あの時はさぁ…って僕が知らない昔話を沢山聞かせてくれた。
 これで少し勇気が湧いて、よし、椎名誠に銀の輔を抱っこさせてやる!と思ったら、もうキムラ弁護士と共に帰っちゃった後…いやぁ、一生の不覚であった。「シーナはね、こういう晴れがましい場が苦手なんだよ」って、嵐山光三郎さんが祝辞で話した。ふと、戦友って言葉が思い浮かんだ。「ほら、出てきなよ!」って呼んだら、石川次郎さんも出てきた。みんな盟友なんだね。ふたりとも温かい祝辞をしてたっけ。坪内祐三さんは既にほろ酔いを通り過ぎていたけど、大車輪の営業活動をする杉江さんを挨拶の場に引っ張りだした。大森望さん、菊地さん、高野秀行さん、宮田さん等々…本の雑誌を支えた沢山の執筆者の名前と顔がやっと一致した。
 イカ筋が100号になった時、うちへ取材に来た浜本さんは社長さん。連載を最初から担当してくれた松村さんは、今でも忘れずに時々不思議な仕事を依頼してくれる。あの時に小さく写真が載ったイカ筋をきっかけに、声を掛けて頂いて始まった仕事も少なくない。そして今も月刊WiLLで続いている、相変わらずの汚い手書き文字で、350号も越えてね…。
 色んな意味で自分に一番近い雑誌と思わせてくれた『本の雑誌』の編集部があるのは、僕の爺ちゃんの街、神保町。しかもその家は編集部の建物の正に真裏あたりにあったんだ。僕の追っ掛けは、まだ続くのかなぁ…。
 そうそう、菊池寛賞おめでとう!

by go-go-shiosenbe | 2015-12-07 18:41 | 拠ん所なく歩く日々

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