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南大塚萬重宝アーカイブ・2003年4月号

*****ミナミオオツカヨロズチョウホウ*****

*******南大塚萬重宝***2003年4月1日号***

ヘッドラインニュース

 先月その途中経過を伝えたが、三菱銀行の入るビルの一階には、結局ローソンとタリーズが入居し、めでたくオープンした。やっぱり出店できるのはチェーン店であった。前者はともかく、後者が大塚に根付くとは考えにくい。多分、近くにある2軒のドトールのお客も、減ることはないだろう。

 大塚で一番美味しいといわれた寿司栄が閉店して久しいが、その空き店舗に、ようやく借り手がついた。改装中には洋食屋かと思われたが、気が付いたら不動産屋になっていた。大塚はちょっとしたマンションブームだが、それ以上に不動産屋が増殖している。そんなに物件が豊富な町なのだろうか?

 おにぎり屋ぼんごの隣にある駐輪場は、予告通り3月25日をもって閉鎖された。ご町内の噂に違わず、コインパーキングが作られることになった。ガン研通りから入庫可能にするため、巨大な道路表示板やガードレール、植え込みと共に、太い街路樹が切り倒される。木の怨念が祟らなければ良いが。

 大塚で桜の名所といえば、北口駅前のピンク通りだ。風に散る花びらが絨毯の如く車道を埋め尽くすからではなく、風俗系の店が集中することから、この名が付いた。昼間でも一人で歩くのは恥ずかしいが、ここが大塚一番の桜並木であるのが、いかにも大塚らしい。勿論、今年も見事な枝振りである。


今日の大塚

 昭和2年、神田神保町、小さな製本屋や取次店が並ぶ裏通りに、次男として男は生まれた。父親は数人の若い衆を使う硝子屋を営み、親族の何人かは、すぐ近くに住んでいた。出身は漱石や永井龍男も出た錦華小学校。店員に追い立てられるまで三省堂や東京堂に入り浸り、氏子として神田明神の御輿を担ぎ、当然のように家業を手伝った。
 彼は同業者の娘と結婚し、昭和32年、独立して大塚へとやってきた。山手線と平行する線路にSLが走り、馬車すら見かけたという。駅前広場には街頭テレビの箱が、そのまま残されていた場末の町、大塚である。
 男は一国一城の主には違いなかったが、職人だった。仕事以外にこれといった趣味もなく、ガラスを切ってはめること以外、何も出来なかった。全てがどんぶり勘定。計画的に物事を進めることが出来ない。人を疑うことを知らない。嘘をつけない。出しゃばらない、喧嘩をしない。単純明快、太平楽を絵に描いたような人間だった。
 唯一の楽しみは酒。家で大酒は飲まなかったが、いったん外に出たら鉄砲玉。仲間と連れだって東京中を飲み歩いた。午前様など当たり前。「よく帰ってこられるものだ」と家人が呆れるほど、飲み始めたら止まらない。
 しかし昼間は職人。食事は全員で一緒に食べること。3時になったらおやつにすること。祝儀不祝儀にはとことん付き合う。人の世話ばかり焼く。人が良すぎて、仕事上でもよく騙された。こんなにお人好しな人間も、そうはいないだろう。
 その呆れるほど暢気な性格は、癌をも乗り越えようとしていた。70を超えて発覚し、余命半年と宣告された肝臓癌を楽々とクリアし、ただ「薬で治そう」の一言を信じて、彼は日々を暮らしていった。2年半の穏やかな生活の後、高野昭二はぼ〜っと入院し、ぼ〜っと旅立っていった。多分、大塚で一番太平楽な人間が、この町とおさらばしたのである。




編集後記
段々歩いて楽しい季節になってきました。私のように無粋な人間は、この時期になって初めて「あぁ、この木は桜だったんだ」と気が付いたりします。でもまた暫くすると、何の木だか分からなくなるんですよね。よく考えると、枝に一片の葉もなく、ただ花だけがギッシリ咲いている木というのは、不自然ではありませんかねぇ。今年も、不自然な植物が満開となった町を歩きましょう。

#####ミナミオオツカ・ヨロズチョウホウ#####
     誇張スレドモ嘘ハツカナイ
     
 変酋長・タカノヒロシ AB型 六白金星

###愛ノ町、大塚ノ今日ヲ貴方ニダケ伝エル###


by go-go-shiosenbe | 2018-06-11 19:42 | 南大塚萬重宝

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