南大塚萬重宝アーカイブ・2003年10月号

*****ミナミオオツカヨロズチョウホウ*****

*******南大塚萬重宝***2003年10月1日号***

ヘッドラインニュース

平日の朝、駅前を掃除する複数の集団の中で一番熱心にみえるのが、某自己啓発系の団体である。世界中に支部を持つらしい彼等は、時には夜でも掃除している。一方南口に会社がある「褐色の恋人」スジャータの社員は、社名入りの制服を着て、密かに好感度アップを狙っている。更にもう一組掃除班がいるのだが、未だ出処が確認できない。恐らくサラ金系だと思うが、分かり次第、また報告しよう。

ドリンク剤のCMで怪しいかつらを被って、「一本、いっとく?」と言うマッチョな外人、ハニホ・ヘニハさんは、CM出演中から北大塚の本格派トレーニングセンターに出入りしていた。実はハンサムで、日本語もペラペラ。それもそのはず、10年近く日本に住んでいるのだ。その彼の不法滞在というニュースを聞いた人も多いだろう。しかし、最近またジムに向かう彼を見かけるようになった。問題解決か?

あおい書店と熾烈な戦いを続ける山下書店だが、ある日正面入り口の周りにガチャポンを起き始めた。相次いで後方のドアの外にも、20台近いガチャポンを設置。更に正面の入り口脇に置いてあった雑誌をどかし、オモチャっぽいものを続々並べ始めた。これは山下書店駄菓子屋計画の一端とみた。確かに本よりは利益率の良いオモチャだが、これを書籍販売に繋げようとしているかどうかは不明。

都電の停留所近くの線路沿いから南大塚のイスラム教モスク方面に引っ越した居酒屋のぶは、相変わらず安くて旨い料理を多数提供し続けている。しかも土曜日と日曜日の昼間がお休みという、謎な営業体系もステキ。和洋様々なメニューがひしめく中、ピザを試して貰いたい。小振りの丸い鉄板に生地を伸ばしてシンプルな具を載せ、オーブンでこんがりと焼き上げたピザは、もちもち感溢れる一品だ。


大塚縁日物語

 大塚駅南口を入ったところに、天祖神社という小体な神社がある。これといって特徴のあるものではないが、町の鎮守様であることには変わりなく、その氏子エリアは案外広範囲に渡る。商店街にも係わらずお稲荷さんがないのも不思議だ。
 天祖神社は7の付く日が縁日である。今でも申し訳程度に屋台が数軒出張るが、区画整理以前の縁日といったら、界隈の一大イベントであった。現在の南口駅前は、大きくカーブする都電の線路の内側に、バス停とタクシー乗り場が陣取っている。昭和40年代、都電の線路のカーブはうんと小さく、線路の向こう側には不思議な広場があった。大きな木が数本生え、あとは使いにくい空き地といった風情。そして、かなり後になるまで、街頭テレビの柱が、「置き忘れられた大塚」の象徴として立っていた。
 この広場が屋台で埋め尽くされるのである。しかも当時の商店街は戦後の闇市マーケットの名残が大勢を占め、至る所に路地があり、店がびっしり軒を寄せ合っていた。やってくる香具師達も、おそらくお馴染みばかりだったのであろう。バナナの叩き売り、粗悪品に近い瀬戸物を面白可笑しく売る人、中に重りを入れた繭玉をミニ滑り台から転がすオモチャと暦を売るおばさん、いつ同じメンバーだった。私のベビーカステラ好きは、この時代から始まる筋金入りの嗜好だ。
 雑誌の付録屋を眺め、商店街を抜けて、数段の石段を上がると、またヘンテコな空き地があった。ここに見せ物小屋や立って打つパチンコ屋が出る。おどろおどろしい見せ物小屋の向こうに、天祖神社の社が見えるという寸法だった。
 冒頭の区画整理によって、南口の商店街は悲しい普通の姿になった。屋台の出せる場所も雰囲気も激減し、空き地も皆無。啖呵売のだみ声も消えた。しかしあの頃、広大な空き地に思えた駅前と神社前の空間が、今、どうも納得出来ない。本当にそんなに広かったのか?私が小さかったから広く見えたのか?それとも妄想か?闇の中に裸電球が怪しく光る南口は、確かに大塚の子供達を吸い寄せていたのだ。



編集後記

ようやく秋がやって参りました。長時間歩く気がする季節です。思えば涼しい8月に暑い9月、おぞましい事件と大きな火事が続出、しかも地震・台風騒ぎに阪神優勝と、まさに緊張の夏でした。この尋常ならぬ事態がどこで大団円を迎えるのか、はたまた来年まで持ち越すのか、やや不安な秋到来でもあります。

#####ミナミオオツカ・ヨロズチョウホウ#####
     誇張スレドモ嘘ハツカナイ
     
 変酋長・タカノヒロシ AB型 六白金星

###愛ノ町、大塚ノ今日ヲ貴方ニダケ伝エル###


by go-go-shiosenbe | 2018-06-25 17:14 | 南大塚萬重宝

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