歩くお正月
2018-07-07T15:25:37+09:00
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歩くお正月
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南大塚萬重宝アーカイブ・2004年12月号
http://arukuhibi.exblog.jp/29619337/
2018-07-07T15:25:00+09:00
2018-07-07T15:25:37+09:00
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南大塚萬重宝
*******南大塚萬重宝***2004年12月1日号***
ヘッドラインニュース
南口サンモール大塚にあった『平禄寿司』が閉店して暫く空き家になっていた建物に、『紅とん』という焼きとん屋が開店した。どうやらチェーン店らしいが、思いの外の盛況振りを示している。前の店子と違って外にも明るい照明を付け、二階まで店舗にする力の入れようが功を奏しているのかも知れない。斜前にある名店『ゴトウ』の静かな佇まいとは対照的な店作りである。
相変わらず大塚人然として町に溶け込むマギー司郎。先日も折戸通りの『北大塚治療院』からひょいと顔を出した。間近で見ても年齢不詳な人である。しかし同じ年齢不詳大塚芸人の大御所、イエス玉川を最近見かけないのが気になる。冬に向かってジョギング活動を休止したのだろうか? イエス様の店『玉ンない』は営業中なのだが、確認しに行く勇気がない。
南口の広い通りに面した商店街。『カクヤス』の並びにあった乾物屋が店仕舞いし、店内を改装し、綺麗な白いシャッターが付いたきり、そのシャッターが開く様子がない。何か店が出来るのか、お洒落に変身した乾物屋がリニューアルオープンするのか分からない。その先にはまたまた美容院がオープン。大塚の美容院数は、三桁に突入するのではないだろうか?
パステルも真っ青の極上滑らかプリンを格安で売る南口プラタナス通り『228』のショーケースに、大塚ロールというケーキを発見した。あのプリンやシュークリームの味から想像すれば、まぁ美味しいに違いないだろう。最初に目撃した時に買えば良かったのだが、それ以降、タイミングが悪いのか大塚ロールを見ていない。
大塚イオン水物語
大塚に「日本の名水百選」に選ばれる清水はない。手漕ぎの井戸は何カ所かあるけれど、飲めるものではない。遠い昔、ガン研通りには石神井川から枝分かれした小川が後楽園に向かって流れていたそうだが、そんな面影は微塵も感じさせない。もっとも戦前は三業地として栄え、今も無数の水商売が跋扈することが、水に縁の成れの果て。
となると界隈随一の大型スーパー、北大塚の『よしや』の無料給水所だ。店で専用ポリタンクを買えば、後は水道水を濾過したイオン水が貰い放題。自然の恵みどころか人工的な加工水だが、タダという魅力に人気は急上昇だ。この無料給水所では、全く愉快な大塚人物ウォッチングが出来るのだ。
さすがに勝手に自前のペットボトルに水を入れる人々は見かけなくなった。五百円少々の専用タンクなんか買うものか!という生活感溢れる人々だ。仕組みが分からないのか、分からない振りをしているのか、外人さんも見かけたが、今はみんなタンクを持っている。
最近の流行は、空のタンクを濯ぐ儀式だ。蛇口からイオン水を少し入れ、タンクを振って水を出す。あれは何を意味するのだろう?仮にタンク内が何らかの理由で汚れているとしたら、そんなことで綺麗になる訳がない。だいたい汚れる理由がない。中にはキャップまで濯いでいる人がいる。
問題は蛇口の脇に置いてある布巾だ。一日中タンクを拭かれ、中には濡れた手を拭く布巾を使わない方が、タンクを濯ぐより安全だと思うのだが、タンク洗い派は布巾愛好家でもあるという不思議。
行列がないと、2つの蛇口を占領する大胆な人、蛇口をちょっとだけ開いてちょろちょろ水を入れる人、タンクから溢れるまで入れる人、何故かタンクに半分くらいしか入れない人、ご近所の飲み屋さんまでやって来る。
給水所に子供が多いと「あぁ冬休みかな?」と思い、週末には仕方無さそうにオジサン達が並ぶ。タンクをぶら下げた人を南口で見かけると、そのご苦労に頭が下がると同時に、砂漠のオアシスにやってくる水汲みを思い出す。『よしや』から一番遠い人は、どこから来るんだろう? タンクに発信器を付けたい衝動に駆られる。
編集後記
あれよあれよという間に、12月に突入してしまいました。振り返って、今年大塚で目立ったことを思い出してみますと。マンション建設、消防車救急車のサイレン、自動車を停めて車内を調べるお巡りさん、放置自転車&バイク、道路工事・・・とろくなことはありませんでした。まぁどれもこれも大塚らしいといえば言えますし、大局的には「相変わらず」だったということでしょうか。皆様、良い年の瀬をお迎え下さい。忘年会に大塚、いかがですか?
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南大塚萬重宝アーカイブ・2004年11月号
http://arukuhibi.exblog.jp/29619335/
2018-07-07T15:24:00+09:00
2018-07-07T15:24:00+09:00
2018-07-07T15:24:00+09:00
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南大塚萬重宝
*******南大塚萬重宝***2004年11月1日号***
ヘッドラインニュース
遂に南口交番が完成した。駅前が田舎臭い大塚に相応しく、白亜の殿堂である。懸念していたガード寄生方式は採用せず、建物は2メートルほどガードから離れている。竣工記念パーティーが行われた様子はない。そう言えば地鎮祭や建前もしなかったような気がする。従って屋根から餅を撒くこともせず、お巡りさんも新居の喜びを表すこともないのが残念だ。
奥田民生が大塚に住んでいたという情報を知人より貰った。南大塚の銭湯『玉の湯』の常連だったそうだ。演歌歌手が住んでいたというならさもありなんと思うが、この手のアーチストがいたとは、たとえ無名時代だったとしても、ちょっとした驚きである。彼クラスがいたのなら、案外他にも大塚住経験のある歌手がいるかも知れない。まぁ自称歌手は、ドッサリいそうな気がするが・・・
かつての都電車庫の跡地には大きなアパートが建っている。この1階にいる手芸洋品店『フランスヤ』が、閉店することになった。小さな店だが商品は充実していて、そこにいる2人のおじさんは、まさに手芸のオーソリティーであった。買い物に来た人々に、即席教室の如く教える姿を、よく見かけたものだ。この閉店で、大塚に手芸洋品店は無くなった。
居酒屋の名店『串駒』の向かい側に出来た『串駒房』は、串駒流おでん屋である。四角いおでん鍋の前には、時代劇に出てくる占い師のような主人が陣取り、どんな種にも一手間かけて供する料理は、おでんというより汁沢山の煮物の趣がある。通常の種以外にも、セロリやトマト等の野菜も充実。勿論日本酒の品揃えと、客の希望に的確に応える選択眼も冴え渡る。
大塚野生の王国物語
昼夜の分かち無く行き交う車と、終電に乗り遅れても、3時間も待てば始発が来るというワーカホリックの山手線。見渡しても緑無く、咲き誇るのは風俗店と飲み屋のけばけばしいネオンばかりという、清々しいほど殺伐とした大塚。ここにも野生生物が生息する。
町の王者はカラスだ。有り余る生ゴミ、しかもマナー無用の場所には、車や人が近づこうとお構いなしに居座っている。犬のように「ワンワン」鳴くもの、「ガーガー」アヒル鳴きするものもいる。中には「カッカッカッカッ」と東野英治郎演ずる水戸黄門の笑い声かと思うように鳴く強者もいる。
カラスが少ない日はハトが増える。主に南口駅前が縄張りだ。「餌をやらないでください」という看板の真ん前で、おばあさんが大量にパン屑を撒く。広場にいない場合は、頭上を這う電線に数十羽がとまっている。カラスにつつかれるのと、ハトのフン攻撃に遭うのとどちらがましか、一考すべき問題だ。
ときおり「ギャーギャー」と鳴いて飛び立つのはヒヨドリである。夕暮れ時などには聞きたくない不気味な声だ。その点スズメの鳴き声は可愛げがあるが、以前ヘッドラインで述べた如く、一本の街路樹に鈴なりになって鳴き叫ぶ音量は凄まじいものがある。
かつては野良猫が沢山いた。『角海老ボクシングジム』の向かいにある駐車場だけでも、十数匹の猫が日向ぼっこをしていたものである。駐車中のボンネットは猫の足跡だらけなんて時代があったが、今は勢力が衰退している。その一方で哺乳類の頂点に君臨するのはネズミだ。10階建てのマンションも平気で登り、ちょっと開けておいた部屋の引き出しをかき回されたという話も聞いている。ケース単位で粘着式ネズミ取りを買う店もあるという。飲食店の町の宿命だろうか?
トカゲはもう三十年以上見かけないが、木造アパートの外壁にへばりつくヤモリを時折目撃する。この先の野生生物は、昆虫世界に突入せざるを得ない。もっとも野生の欲望剥き出しのオヤジは四六時中発生する大塚である。
編集後記
ヘッドラインでお話ししたフランスヤのある公団アパートに併設されている南大塚ホールでは、豊島区在住芸人さんが出演する落語会が定期的に催されます。当月18日の回は、あの川柳川柳師匠(雑司ヶ谷在住)がトリを勤めます。70歳を越えてなおアナーキーでトリッキーな大酒飲みの師匠と、とある理由で夜明けまでご一緒したことがあります。噺家さん3人と新宿で飲んでいて、深夜2時に師匠が「俺はクッパが食べたい」と言い出して、池袋の怪しい焼き肉屋へ行きました。翌日、二日酔いを微塵にも感じさせない完璧に素面の声で電話がありました。「昨日、帽子を無くしちゃったんだけど、覚えているかなぁ?」そりゃ無理ですよ師匠。そうじゃなくても緊張して明け方を迎えたのに、帽子までは気が付きません。そういえばあの帽子、見つかったのでしょうか?
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南大塚萬重宝アーカイブ・2004年10月号
http://arukuhibi.exblog.jp/29619332/
2018-07-07T15:22:00+09:00
2018-07-07T15:22:24+09:00
2018-07-07T15:22:24+09:00
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南大塚萬重宝
*******南大塚萬重宝***2004年10月1日号***
ヘッドラインニュース
空蝉橋の近くに『ストリーム・ライン』という名の鉄道模型店が出来た。新大塚にも
小さいがその筋では有名な鉄道グッズ屋があり、大塚は鉄道マニアが多い町なのだろ
うか?『ストリーム・ライン』の斜前の公園にはSLが置かれ、新大塚には旧型の都
電が置いてある。きっと大がかりな鉄道愛好者の地下組織が暗躍しているに違いない。
我が豊島区は、駅前放置自転車に税金をかけ、それ鉄道会社から徴収するシステムを
採用する。勿論各鉄道会社は大反対で、法廷闘争に持ち込まれる公算が大きい。大塚
の放置自転車状況については、萬重宝27号で詳しく述べた通り。仮に課税を了承して
も数百台単位収容の駐輪場を作っても、問題は何も解決しまい。放置自転車は、そん
な甘い悪者ではない。
前号で閉店に触れた『ちょいす』の後釜には、『炭焼き処 備長扇屋』が入った。同
じビルの地下と2階にとても安い同系列らしき飲み屋が入っているので、路面店で居
酒屋をするのは至難の業であろう。因みに私の記憶が確かなら、この建物は数十年前、
卓球場があったはずだ。もしかすると卓球場が入っていたのは、一世代前の建物かも
知れない。調査を続行したいと思う。
界隈随一の古刹・天祖神社の祭礼が、先月滞りなく催された。天祖神社の氏子範囲は
意外と広く、そのため御輿の数も少なくはない。宮元の御輿は立派なのだが、中には
子供御輿にしても小振りではないかと思しきサイズのものもある。神社周辺にも露店
が数えるほどしか出ておらず、下帯姿の強面な人が御輿に上り、喧嘩寸前の騒ぎもあっ
た昔の祭礼は、もはや想像することすら難しい。
大塚ヨネクラ物語
都電荒川線の大塚駅前電停と巣鴨新田電停の間に、かつて銭湯『花の湯』があったことは、26号で詳しく話した。その真向かいに、『ヨネクラジム』というボクシングジムがあった。
元々その一角は変わった区画になっていた。都電の線路と平行して走る折戸通りから垂直に伸びた道が、数十メートル足らずで、いきなり線路にぶつかる。道は仕方なく左右に泣き別れという運命だ。その泣き別れT字路の右角が『花の湯』、左角が『ヨネクラジム』だった。
道路の角を正面にして、子供にはやや急な石段が数段。上がった先にはガラス張りのドアと窓。外観は白を基調とした涼やかな建物の周囲には、幅2〜30センチほどの植え込みがあった。窓から覗くと、すぐにリングがあって、周囲には鏡が貼ってあった。今思うと、その広さの見当が全く付かないが、子供心には先ずリング自体が広く感じられた。
例えばお天気の良い昼下がり。『花の湯』は勿論まだ開店していないが、階上の窓からお兄さんが掃除をしているらしい音が響いてくる。お隣の『八百文』では、日射しを遮るために店一杯に葦簀が立てかけられている。まだガードレールなどなかった軌道内を、6000形の都電が身体を左右に振りながら走っていく。その前にある白いジムの建物で、どんな厳しい練習が繰り広げられていたかなど、子供の私に分かるはずもない。ただ、いたって暢気な風が、この変梃な一角に流れていたことだけは分かる。
近所の子供は、よくジムの石段に座って遊んでいた。ぽかぽかした日を浴びて、建物の植え込みに生えた数珠玉をむしっては、ポケットにしまい込んだりした。母親がなかなか帰ってこない私の妹を探しに行ったら、この石段でうたた寝する彼女を発見した、なんてこともあった。
真向かいの『花の湯』の石垣に白いワーゲンが停まっていると、「あっ、柴田国明が来てる」と思った。その頃柴田はジム一番の選手で、ワーゲンのバックミラーに、ミニグローブがぶる下がっていた。
『ヨネクラジム』はとうの昔に引っ越し、『八百文』も閉店して相当の年月が経った。私達が数珠玉と言っていた植物は、なんだったのだろう?
編集後記
先月号をアップした直後に、喫茶店『M』のご主人から直々にメールを頂戴しました。
『大塚オート三輪物語』の舞台となったお店です。私の聞きかじった話を丁寧に訂正
して下さり、オート三輪のその後も教えてくれました。一台は排ガス規制のために廃
車、もう一台はお茶農家に嫁いでいったということです。ネットサーフィン中に萬重
宝に辿り着いたご主人は、私の軽率な情報に抗議することなく、返って親切にご教授
下さいました。ビックリしましたが、とても嬉しいメールでした。この場を借りて、
改めてお詫びと御礼を申し上げます。ありがとうございました。
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南大塚萬重宝アーカイブ・2004年9月号
http://arukuhibi.exblog.jp/29619326/
2018-07-07T15:19:00+09:00
2018-07-07T15:19:11+09:00
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南大塚萬重宝
*******南大塚萬重宝***2004年9月1日号***
ヘッドラインニュース
ガン研通りに、ファミレスのジョナサン経営の居酒屋『ちょいす』がある。この店の真ん前にある街路樹には、夕暮れ時になると大塚中のスズメが集まってくる。その騒がしさは尋常ではない。葉が茂っているので、一体何羽のスズメがいるのか分からないが、この木からあぶれたスズメが隣の木にまで進出するほどだ。
今や大塚随一の祭りと化した阿波踊りは、今年も8月26日に催された。平和電業という電気設備会社の平群(へぐり)さんはずんぐりした体型で、とてつもなく訛っているが、町内の連で三味線を担当する。きっと大塚でもっとも三味線の似合わない人だと思う。しかし数年前に病床に着いたと聞く。その後の案配は知らないのだが、元気に三味線を弾いていることを願うばかりだ。
祭りといえば、突如昨年催された『よさこい祭り』のようなものは、今年も行われるのだろうか? あれは隣の池袋で開催される『ふくろ祭り』の一環だった可能性が高い。普段は違法駐輪で溢れる南口駅前広場が、その大塚会場となった。しかし昨年は大雨だったのである。もう懲りたのか、捲土重来を期しているのか、その推移を見守りたい。
界隈でも老舗の飲み屋で、芸人のご贔屓も多いという焼きトンの名店『富久晴』に、今年のお盆休み中、作業車両が連日止まっていたようだ。店内改装をしたのかも知れない。が、この時期開け放たれた入り口から縄暖簾越しに垣間見た限り、どこかをいじった形跡が認められない。しかし閉店時間が早いため、なかなか偵察に行ける暇がない。確認済みの読者諸氏がいたら、是非教えて頂きたい。
大塚オート三輪物語
バブル華やかりし頃、山手線沿線屈指の見放された町・大塚も例外ではなく、さすがにその恩恵に与った人がいたようだ。ベンツやBMWは勿論、やたらに車高の低いガルウイングのスーパーカーが路上駐車し、数台のロールスロイスが駅前を行き来していた。しかしそんな成金車の数倍恰好良い車が、界隈を駆け巡っていた。頑強なボディーと、そのイメージを高めるような深緑の彩色。しかも可愛らしい顔を持った昭和の担い手・オート三輪であった。
大塚駅北口から巣鴨へ向かう抜け道になる坂がある。その坂の入り口がある道は、片側2車線もあるのに、唐突に行き止まる不思議な袋小路で、どうしたかったのか全く分からない。今では盆踊り会場にもなる程のスペースがあるような道である。その途中に『大塚商店』はあった。よくアパートの外壁に使われたコンクリートブロックや、砂利、セメントを売る店だ。そのやたら高さのある車庫兼店舗に、オート三輪が二台も鎮座していたのだ。
荷台は一人前のトラックサイズなのだが、運転台部分が三角にすぼまっていて、しかも車幅が狭かった。当時でもレアな古さながら、きれいに磨かれたオート三輪が、狭苦しい折戸通りを走る姿は、自動車に詳しくない私でも惚れ惚れする光景だった。しかし次第にオート三輪は町を疾走する姿を見なくなり、車庫に並んでいるばかりになった。そして恰幅の良い、しかもサングラスをした強面のおじさんが、車庫前に立っている。
いつの間にかオート三輪は、その姿を消し、おじさんも見かけなくなってしまった。そして昨年、その車庫跡に『M』という喫茶店が出来た(萬重宝17号参照)。店内には実車のミニクーパーが置いてある。ふらりと訪れた私がコーヒーを飲んでいると、男性がひとりカウンターに座り、コーヒーを飲み始めた。そう、昔オート三輪の前に立っていた、あのおじさんだった。
「私の兄です」と、物腰柔らかなマスターが、私の質問に答えてくれた。目が悪くなり、廃業したそうである。あの格好いいオート三輪はどうしたんだろう? 店を出てから、その質問をしそびれたことを、私は思いだした。
編集後記
五輪騒ぎには、正直ついていけないものがありました。周囲は「メダル、メダル」と囃し立て、いざ負けると「戦犯」呼ばわりです。悲壮な覚悟で臨み、銅メダルを取ったのに仏頂面をする選手。叫ぶアナウンサーとレポーターに、がら空きの観客席では、妙に日の丸ばかりが舞っておりました。おちおちニュースも見られず新聞も読めない日々。まぁこの騒動に乗らない私は「非国民」ということで、一件落着。皆さんは、良き日本国民でしたか? それとも非国民でしたか?
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南大塚萬重宝アーカイブ・2004年8月号
http://arukuhibi.exblog.jp/29619320/
2018-07-07T15:17:00+09:00
2018-07-07T15:17:32+09:00
2018-07-07T15:17:32+09:00
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南大塚萬重宝
*******南大塚萬重宝***2004年8月1日号***
ヘッドラインニュース
大塚北口で、最近よくマギー司郎を見かける。普段着で「暑いなぁ」という顔をした時だったり、びしっと決めてタクシー待ち姿だったりするので、どうやらこの界隈に住んでいると思われる。普段着でもスーツ姿でも、彼の柔和な顔は変わらない。テレビから窺える「良い人」な感じは、どうやら事実のようである。
そのマギー司郎がよくタクシーを拾おうとしているのが、超有名店おにぎり『ぼんご』だ。髪の毛真っ白なご主人に比べて、おかみさんは元気一杯だ。背が小さいのだが、それをリカバリーして余りある声の大きさには、いつも圧倒される。自身も可愛い犬を飼っているのだが、店には犬猫の「里親募集」ポスターが、いつも貼ってある。
都電荒川線の向原電停前に、レンタルビデオ屋がある。この店頭に小さなUFOキャッチャーの景品が曲者で、ブランド品やゲーム機、ディズニーランドのペアパスポート等と豪華版なのだ。景品である野球のボールサイズのカプセルが、ほぼ同サイズの蓋のない箱に入っていて、これを掴めばゲットである。一見出来そうなのだが、途方もなく難しい。自信のある人は、いかが?
6月号のヘッドラインで話した、南口駅前交番の新築工事は、粛々と続行中である。見た感じでは、以前より相当大きな建物になりそうな気配だ。しかし今までのようにJR山手線のガードに寄生するのかどうかは分からない。もし従来通りへばりついた建物になるとすると、危惧した通り、貴重な煉瓦をモルタルで塗り込めてしまいそうだ。
大塚平成十六年夏物語
大塚の夏は暑い。汐留のようにビル林が風を堰き止めているわけではないが、あらゆる熱気が渦巻いている。膨大な数の飲食店が遠慮会釈無く歩道に突き出したエアコンの室外機は、通行人の顔を熱風で舐めあげる。その熱風を避けようとすると、放置自転車にぶつかる。中小オフィスビルに入った様々な事務所を訪れる営業車は、恐怖のアイドリングを続け、車体からは陽炎が立ち上がる。その隙間を必要以上にゆっくり徐行するパトカーが、時折3ナンバーの乗用車を停止させては、車内物色、職務質問を繰り返すのだ。
微かな救いは、学校が夏休み中のため、何処へ出勤するのだと思いたくなるようなけばけばしい顔をした女子高生や、ドリフターズの相撲コント真っ青に短足化した制服ズボンづり下げ男子生徒を見なくて済むことか。
飲み屋『日吉丸』は、斜前にあった立ち飲み『秀吉』の見守り空しく閉店した。焼き鳥『リョウマ』は、大塚の夜明けを見ることもなく、「本場大阪鶴橋の味」の焼き肉屋へ転向していった。
気が付いたら『山下書店』の強面店長の姿が見えない。何となくのんびりムードなのは、『あおい書店』方式への進路変更なのだろうか? 歩道に面した書棚の雑誌も、大塚の暑さに辟易していることだろう。
天祖神社前のスーパー『田島家』は、小振りながら鮨職人の実演販売や、魚を目の前でさばいたりして、新顔ながら健闘している。その一方で、北口商店街の老舗スーパー『マイフレンド』は倒産。真向かいの八百屋もシャッターが降りっぱなしで、界隈の薄暗さを助長している。
バー『黒すぐり』、カレー『モアナ』,『ビバーチェ』と相次いで閉店。前者2店は居酒屋、後者は、向かいにある『串駒』の支店になるようだ。
せっかく吹いた夜風も生臭い大塚。南北を代表する大型スーパーの『よしや』は午後11時、『ライフ』は午前0時に閉店時間を延長し、寝苦しい夏の大塚を応援するのだった。
編集後記
7月17日に決行されたウクレレブラザースのライブに御来場頂きました皆様、この場を借りて厚く御礼申し上げます。お陰様で、『巣鴨歌謡ホール』始まって以来の入場者を記録することが出来ました。内容については、深く追求しないで下さい。
暑い夏が当分続きそうです。町を歩いていると、生命の危機を感じるほどの日射しと熱風の直撃を受けます。もう8月一杯を夏休みにしたいものです。お互い決死の覚悟で、このバカげた季節を乗り切りましょう。
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南大塚萬重宝アーカイブ・2004年7月号
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2018-07-07T15:15:00+09:00
2018-07-07T15:15:54+09:00
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南大塚萬重宝
*******南大塚萬重宝***2004年7月1日号***
ヘッドラインニュース
プラタナス通りにある激安八百屋・丸喜屋の手前に、腰の曲がったお爺さんが営む豆腐屋があった。しかしいつの日か店仕舞いしてし、今は弁当も売る総菜屋になった。豆腐屋の家族がやっているのか、全く別人なのかは分からない。だがもっと謎なのは、店の名前が『旅』だということだ。まぁ、苗字が旅さんだったら仕方ないのだが。
アジアの交差点・大塚にも、ネットカフェやインターネットを時間利用出来るスポットが激増している。しかもその殆どが、看板にハングルか中国語しか書いていない。雑居ビルには、判読不能な言語が踊っている。路面店の場合だと、中の様子が窺えるところもある。薄暗い店内には、モニターを眺める人々の背中が並んでいる。ドアの向こうは、どうやら日本ではないらしい。
何号か前のヘッドラインで、「今年はホワイトホテルにツバメが来ない」と言ったが、訂正せねばならない。長い間工事中であったため、作業車の出入り激しい駐車場の軒下には到底来ないし、確認も出来なかったのだ。だが先日、めでたく工事完了した同ホテルの駐車場から、素晴らしいスピードでツバメが出ていくのを発見した。
今大塚駅周辺の歩道の再舗装(又は再々舗装、もしくは再々々々々・・・)が続いている。与三郎の如くズタズタに切り刻まれてきた歩道の表面を、ブロック状のタイルで隠そうという魂胆。しかしまた何度も掘り返すのに、ブロックなど敷いても何の意味もない。その上、隙間にはゴミが詰まり、あっという間に水はけが悪くなるのだ。大塚への税金投入には、少しだけ頭を使って貰いたい。
大塚放置自転車物語
JR大塚駅周辺は豊島区の中でも、池袋に次いで放置自転車の多いエリアである。その数は凄まじい勢いで加速し、界隈の広場と歩道を駆逐していく。
南北のメッカは駅前広場だ。どちらかというと北口主導で増加したように思う。改札を出てた途端、誰もが膨大な数に圧倒されよう。先ず広場の左右にあるポストに、手紙を投函するのが一苦労だ。ポストの前にもビッシリと自転車が並び、リーチが2メートル以上ないと届かない場合もある。ガン研病院を往復する送迎バスの乗り場は、辛うじて人が通れるものの、それはひとえに自分勝手に置かれた自転車を整理するおじさんのお陰。
一方の南口広場は北口に比べて若干広く、しかも緩い傾斜があるため、やや置きにくい。だがその程度の障害にひるむような素人ではない。こちらは、タクシー乗り場に行くのが大変だ。縦長に止めた自転車を回り込むように歩かねばならないので、車椅子や杖が頼りのお客は、かなりの困難を強いられよう。
南口の総本山から眺めると、先ず目に付くのがベッカーズ前とローソン前の自転車だ。更に都電荒川線の向原電停に向かう軌道の両側に、蠅取り紙に貼り付く蠅のようにビッシリと並んでいる。南口で一番勇気のある人は、交差点の角にある吉野家付近、ほんの僅かなスペースに駐輪する。目の前は交番。鍵を掛けている最中から、既に歩行者の邪魔になっている凄腕。
北口総本山から見ると、最悪なのがみずほ銀行前とスーパーよしや前。雨の日は人がすれ違えないのだ。そしてその膨大な自転車はガン研通り、ピンク通り、空蝉橋に至る橋と、四方八方に拡大する。山下書店界隈にはバイクも急増中で、スクーターから限定解除車まで、バイク屋の様相を呈している。
この大塚駅自転車問題は、既成の微々たる駐輪場では全く解決しない。2〜30階建ての駐輪ビルでも出来ない限り、自転車はねずみ算式に大塚の歩道を占拠し続ける。南北自由通路より、放置自転車対策が先だろう。いや、自由通路もすぐに自転車で埋め尽くされるに違いない。自転車は、大塚一の暴力集団である。
編集後記
しつこいようですが、ウクレレブラザースのライブは7月17日です。『巣鴨歌謡ホール』18:00開場、18:30開演。入場料1000円(ドリンク付き)です。ドリンク付きではありますが持ち込み自由ですので、福々まんじゅうでも塩大福でも、地蔵煎餅でも鯛焼きでも、会場への道すがらで売っている名物をお買いになっても大丈夫です。但し終演後は、全ての商店が閉まっていますので、お気を付け下さい。
ご興味のある方、詳しくお知りになりたい方は、編集部まで御一報下さい。
#####ミナミオオツカ・ヨロズチョウホウ#####
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南大塚萬重宝アーカイブ・2004年6月号
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2018-07-07T15:14:00+09:00
2018-07-07T15:14:11+09:00
2018-07-07T15:14:11+09:00
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南大塚萬重宝
*******南大塚萬重宝***2004年6月1日号***
ヘッドラインニュース
大塚駅前交番の真ん前のスペースに、いきなりプレハブの建物が出現した。ここを仮交番とし、山手線の高架に寄生している現交番が、建て直されるのであろう。潤沢な資金でさぞや立派な建物が出来ようが、願わくば大塚屈指の貴重な歴史的煉瓦を壊さずにしてもらいたいものだ。ついでに公衆トイレも併設されれば、御の字。
ご多分に漏れず大塚のアジサイも、例年になく早々と見頃を迎えてしまった。本来なら梅雨の時期に咲くものを、寒暖及び晴雨の激しい四〜五月の目まぐるしい気候のため、もうそろそろだろうと咲いてしまったのだ。癌研通りも線路端も濃い紫の普通のアジサイが幅を利かせているが、ブックオフ前の植え込みにはガクアジサイが、その背丈を誇っている。
駅のホームにも大きな看板がある質屋『さのや』は、ブランド品買い取りで一躍脚光を浴び、町の質屋といった面影は微塵もない。北口商店街入り口にあったアサヒカメラ撤退の後を受け、道に面して大型液晶テレビをポンと置いただけのイメージショーウインドを作った。しかし実際の店舗が若干分かり難い場所にあるため、界隈の住民は盛んに道を尋ねられ続ける。
南口の鰻屋『大和田』と洋品屋『勉強堂』の間を入ると、飲み屋やバー、スナック、怪しい風俗店等が並ぶ小さな商店街がある。先日この通りにある雑居ビルが火事になり、通りの規模に似合わない数の消防車が押し寄せた。幸い怪我人が出たという話は聞いていない。しかしこの手狭な通りが「大塚銀座」であることについては、いつの日か精査しなくてはならないだろう。
大塚花の湯物語
荒川線の大塚駅から三ノ輪行きの都電に乗り、最初に大きなカーブを過ぎ、次の電停・巣鴨新田に至る一直線コースに入ったすぐの右側に、『花乃マンション』がある。一階には事務所や飲み屋が入っており、二階には『サウナ花』がある。ここは昔、『花の湯』という銭湯だった。印象では石垣のような外壁があったはずだが、もう何十年も前の話なので、外観も霧の中。
ここに「やっちゃん」「もっちゃん」兄弟がいた。都電の線路内と両脇の車道の境界にガードレールなどなかった頃、暢気極まりない時代、彼等とよく遊んだ。私より数年年上のもっちゃんと、更に年の離れたやっちゃん。通う学校は違ったが、近所の貴重な男子だったので、自転車で界隈を駈けづり回ったりしていたものだ。
しかし、もっちゃん・やっちゃんの何が魅惑的かといって、「お風呂屋さんの息子」という境遇に勝る理由はなかった。燃料となる木材が乱暴に積み重なったボイラー室は、穴蔵の雰囲気。住まいの玄関の脇には何故か砂山があり、ここで私達はよくビー玉のコースを作ったものだ。お父さんが飼っていた巨大なシェパードの檻をそ〜っとすり抜けると、隣家との境に立てられたブロック壁が続いてた。この幅10センチ程度の壁の上を、いかに早く走り渡るかなんてこともした。臆病な私は、この壁に立つことも出来なかったが。
一番の楽しみは、まだ水をはってない昼間の風呂場で遊ぶこと。各自が銀玉鉄砲を携え、男湯vs女湯で戦争ごっこをした。脱衣場の中央にあった木製ロッカーに登ると、男湯と女湯を遮っている壁の向こう側が見えた。駆け回る相手に銀玉を浴びせる。番台をよじ登って敵陣に攻め入ったり、空の浴槽に身を潜めたりと、嬌声を響き渡らせていた。
『花の湯』が無くなったのは、いつだろう? その頃には大塚も内風呂時代に入っていたということか。その後、もっちゃんにもやっちゃんにも会っていない。もしかすると今も花乃マンションにいるのかも知れないが、きっと顔を見てもお互い分からないだろう。湯船につかっている自分より、銀玉鉄砲片手に場内を走っている思い出が圧倒的な『花の湯』である。
編集後記
山手線各駅の歌を作り続ける色物系ウクレレユニット・ウクレレブラザースが、7月17日、初フルライブを決行します。これまでJR東京駅構内でミニライブを重ねてきましたが、ようやく単独ステージをすることになりました。場所は巣鴨とげ抜き地蔵商店街にある『巣鴨歌謡ホール』。赤い絨毯にミラーボールが回り、壁には演歌歌手のポスターが一杯貼ってある、ステキな空間です。
7月17日、18:00開場、18:30開演。入場料1000円(ドリンク付き)。
ご興味のある方、詳しくお知りになりたい方は、編集部まで御一報下さい。
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南大塚萬重宝アーカイブ・2004年5月号
http://arukuhibi.exblog.jp/29619308/
2018-07-07T15:12:00+09:00
2018-07-07T15:12:53+09:00
2018-07-07T15:12:53+09:00
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南大塚萬重宝
*******南大塚萬重宝***2004年5月1日号***
ヘッドラインニュース
南口『吉野家』の隣、木造モルタルの小体ながら、飲み屋、不動産屋、コインロッカー、床屋と4分割されていた建物が取り壊される。特に『ミツワ不動産』と床屋『カイジマ』は、随分長い店子だったので、風景としては寂しい。それに呼応するが如く、北口の『あおい書店』の隣にあった不動産屋『大塚地産』も取り壊された。しかしその隣を取り壊して出来るというホテルと一体化するかどうかは不明。
大塚駅南口の改札の脇に、花屋が開店した。かなり以前から、ここにはスタンドだけのこじんまりとした喫茶店があった。その後釜に、キオスク経営の花屋が出来たのだ。ガーベラ10本300円、バラ10本500円など、種類は少ないが、どれも格安。一方北口の高架下にある公衆トイレの隣にある花屋は、なかなかの品揃えとお手頃値段が人気で、南北花屋戦争は、これからヒートアップしていくだろう。
例年ツバメが巣を作るラブホテル『ホワイトホテル』の駐車場だが、今年はまだ到来を確認していない。駐車場の一角をベニヤ板で囲って、工事車両が頻繁に出入りしているのを警戒してのことだろうか? 従って大塚の空を飛び交っているのは、相変わらず迷惑なハトとカラスだけ。ツバメも見放す非自然の町ということだろうか?
決死の24時間営業を続ける『山下書店』。店頭に設置されたガチャポンの台数は、一向に減る様子がない。更に正面入口の前にはドリンク剤のケースが置かれ、ドアを入ってすぐの場所には、香水コーナーまでが進出してしまった。次は恐らく店内にカフェブースを設けるに違いない。これに対し『あおい書店』は今のところ静観しているが、途方もない作戦に出て欲しいと願う今日この頃。
大塚ダンス物語
南口は、『アサノダンススクール』、『アベヒロシダンススクール』、『コダマアボールルームダンススタジオ』、『ダンススタジオ・ジャム』。北口に至っては、『楠潤一郎ダンスアカデミー』、『大塚会館』、『馬場ダンススクール』、『星野隆ジャズバレエ団』、『ライフジャズダンス』、『島ダンススクール』。ぐるっと見回しただけで、これだけのダンス教室やスタジオがひしめいている大塚は、まさに踊る町。
つたない昔の記憶を辿ってみると、先ず思い出されるのが、大塚駅北口の改札を出たすぐの所にあった、社樹(やしろぎと読むが、社城だったかも知れない)ダンススタジオだ。当時はビルではなく木造の建物に店舗や事務所がはいった二階に、このダンススタジオはあった。その窓から時折踊る様子が、山手線のホームから見下ろせた。子供心にも「何て姿勢の良いお兄さん達だろう」と感心したものだ。
残念ながら界隈のビル化と共に、このダンススタジオは姿を消した。しかしそれが引き金になったのか、ダンス教室は怒濤の快進撃を始めた。雑居ビルの事務所も、ガラス張りのマック専門パソコン教室も、老舗ラブホテルもそのパワーには勝てず、次々とダンサーが占拠していった。
その増殖振りには地元の住民もついていけず、「この辺にダンス教室がありませんか?」と道を聞かれても、どこを教えて良いものか、迂闊には答えられない。例えば北口の場合、改札から5分以内のエリアに、殆どの教室がひしめいているのである。そのビルの一階に何があったか、周囲の目印になる物件は何かを尋ねてからでないと、一概に「あそこですよ」とは言えないのだ。
何故大塚にダンス教室の類が集中してしまったのだろう? それは何故大塚で阿波踊りなのかと同様、回答の糸口すら見いだせない難問である。もしかすると、南口にある三業地と関係があるのかも知れない。少なくとも風俗街との関連よりは濃そうな感じがする。そのうち大塚は、行き交う人々はみな背筋がぴーんと伸び、店から流れるBGMに自然とステップを踏むようなリズミカルな町になる・・・訳がないか・・・
編集後記
防犯上住所氏名は伏せますが、この30年、玄関の鍵を掛けたことがないという人を知っています。我が家も、ドアが開けっ放しでも泥棒は入るまいと思うような風情ではありますが、やはり最低限の戸締まりくらいはしますよ。でもこのお宅は、そんな心配もどこ吹く風。空き巣の多い大塚にあって、近頃勇気のあるニュースではありませんか?
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南大塚萬重宝アーカイブ・2004年4月号
http://arukuhibi.exblog.jp/29619306/
2018-07-07T15:11:00+09:00
2018-07-07T15:11:23+09:00
2018-07-07T15:11:23+09:00
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南大塚萬重宝
*******南大塚萬重宝***2004年4月1日号***
ヘッドラインニュース
大塚もご多分に漏れず、例年より早く桜が満開になった。北口ピンク通りの桜並木は風俗街に面しているものの、駅前のため北大塚の住人には有名だ。しかし南口の巣鴨信用金庫を挟んだ両側の道の桜並木は、ピンク通りに負けない鮮やかさである。花盛りの時期も良いのだが、KKベストセラーズ本社あたりの風に舞う花びらの美しさは、一層興をそそる
狭いけれど老舗の打ちっ放し、山手ゴルフ場の斜前にある『菅原神社』は、本殿の新築工事のため、現在は境内に立ち入りが出来ない。しかし境内を通らなくては自宅に入れない人は、どこから入るのだろう? 向かいのゴルフ場に呼応すべく、まだ骨組みだけのとっても可愛らしい本殿が出現し、銅葺きの屋根が日の光に輝いている。
都電荒川線・巣鴨新田電停の少し手前に踏切がある。線路の向こう側は東京電力の敷地のため以前は東電専用だったが、一般歩行者も通れる踏切になった。ここを渡ってテニスコート脇の細道を行くと、折戸通りまで抜けられるようになったのだ。この辺はアパートや住宅が密集し、緊急時に避難出来る道がないためだろう。因みに東電の敷地を出て最初にあるアパートの入り口には、手こぎ井戸がある。
萬重宝でもお馴染みのスターフルーツ。ここで一番元気なお兄ちゃんが、3月一杯で折戸通りの店を離れ、駒込の霜降銀座にある本店に異動してしまった。店頭で果物を担当し、いつでもむちゃくちゃ愛想が良く、「よしっ、800円でいいや!」と景気よく端数を切り捨てるきっぷの良さで、界隈のおばちゃん達に好かれたお兄ちゃん。霜降銀座でもカリスマ店員になること請け合いだ。
大塚東福寺物語
大塚で神社といえば天祖神社であるように、寺というえば東福寺ということになっている。南大塚の住人の投票所にもなる巣鴨小学校の裏ッ手に、観光山東福寺はある。この界隈は千石巣鴨に向かって急勾配になっており、その山を切り崩して作ったのがこの寺。元々小石川にあったのを、元禄時代に大塚に持って来てしまったという。そんなに歴史の古いものが、大塚にあるわけがないと思ったら、案の定文京区からの頂き物。「大塚」の地名も文京区からの頂き物。頂きますものは、何でも頂く大塚だ。
山門の石段脇に、いきなり『疫牛供養塔』がで〜んと控えている。牛乳搾取業巣鴨支部が明治43年に建立したものだ。大塚には牧場が沢山あったという話が、ここで立証される仕組み。「搾取業」という謙虚なネーミングに好感が持てる。肉も乳も牛から勝手に頂戴していることを、この際思い知るべきであろう。
標準的な本堂、巣鴨総鎮守の神様を祀るお堂、その奥に墓地が広がっている。いかにも山を削ったという感じの崖、その向こうに一般住宅が軒を連ねる。馬頭観音が集まった通路を横目に、一本の大木がある方に向かうと、その根元辺りに遅塚家の墓がある。その中に、不動明王が描かれた鎧兜を身につけた武士が腰をおろす姿を刻んだ石碑がある。遅塚九二八という名の侍らしい。何者かは不明だが、その立派な装束から察するところ、身分は低からぬ気がする。
本堂を挟んで墓地の反対側の境内に、日本文化会館があるが、ここも謎である。名前は大きいが、その割にこじんまりとした建物だ。この2階に、週に2日だけ開く東福寺児童図書館がある。絵本と子供向けの読み物がさっぱりと並ぶ、静かなスポットだ。
椋鳩十、坪田譲二等といった懐かしい名前が、目に飛び込んでくる。かと思えば、東西五月社刊、吉川英治文庫の『左近右近』昭和35年初版本もさりげなく並ぶ。「あとがき」ではなく「あきとが」という笑える誤植のあるレア物だ。その閲覧室の奥には、愛澤和夫(って誰?)記念文庫と書かれた部屋があり、扉の隅から少なくはなさそうな蔵書が見えている。
境内にある別の石段脇には二宮金次郎といい、前後左右も判別不能の彫刻といい、どこまでも謎に満ちた観光山東福寺である。
編集後記
先月号でお伝えした深川のアートイベントの続報です。イベントの正式名称は『第4回 花みずき 街角誰でもアーティスト』です。私の路上ペンギン写真が十数点、資料館通りの店舗に展示される予定です。期間は4月19日〜29日。また24日には、銀の輔ツーショット写真大会を催す予定です。仔細はHPをご覧下さい。
http://www014.upp.so-net.ne.jp/HOBO/
よろしくお願い致します。
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南大塚萬重宝アーカイブ・2004年3月号
http://arukuhibi.exblog.jp/29619301/
2018-07-07T15:09:00+09:00
2018-07-07T15:10:00+09:00
2018-07-07T15:10:00+09:00
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南大塚萬重宝
*******南大塚萬重宝***2004年3月1日号***
ヘッドラインニュース
サンモール大塚にある『魚荘』閉店の件は、前号報告した通りだが、その後、今度は『魚忠』という魚屋に変わった。しかし店構えも品揃えも、これといった変化が確認出来ない。未確認情報だが、置かれているレジも以前と同じ物らしい。『魚荘』と『魚忠』の関係は不明だが、大塚人が魚嫌いではなかったことだけは証明出来たと思われる。
北口商店街にあるブラジル雑貨屋は、多数のビデオも並び、在日の人々御用達の本格派。ここに1個150円のブラジルアイスなるものがある。看板には3種類のテイストが書かれており、曰く「とうもろこし、ゴアイバ、焼きココナッツ」である。どれも想像し難い風味だが、それ以上に試食し難い風味でもある。
南口・巣鴨信用金庫の裏に、『おまもり』という日本酒バーがある。ちょっとした洋風の肴と、各種日本酒を取り揃えている。特に3種の酒がグラスに入って供されるお試しセットが、なかなかにリーズナブル。ただ、ちょっと店内の照明が暗過ぎるきらいもあるが、いかがなものだろう?
極たまにではあるが、駅前にストリートミュージシャンがいることがある。スタイルは定番、ギターの弾き語り。立ち止まる人も殆どいないのだが、いつも一人だけ女の子が傍らに立っている。妙に説教じみた「人生応援歌」的な歌を歌う彼。もしかしたら自分自身を応援しているのかも知れない。いずれにしろ大塚に来るという一点において、その音楽姿勢に無理があると思う。
大塚車庫前物語
手元に一冊のミニアルバムがある。表紙には『都電16バン さよなら16番』という文字と路面電車の絵、裏表紙には『昭和46年3月17日』と記されている。大塚と錦糸町を結んでいた16番が大団円を迎えた。これに乗って小学校に通っていた私は、この日、定期券を何度も使って乗り降りを繰り返し、撮った写真を数枚貼り付け、小さなアルバムを作ったのだった。そのアルバムの中に、当時大塚にあった都電の車庫の写真が妙に多く含まれている。よほどここが気になっていたに違いない。
外壁に煉瓦を使った建物は、子供心にどっしり堂々と見えた。正面玄関の周りだけアーチ状に意匠が施され、薄暗い屋内を覗き込むと、ちょっと恐い空気が淀んでいるようだった。ぼけた写真によると、屋上部分を囲う外壁には、エンブレムのような装飾が窺える。いかにも手作りの「さよならパーティー会場」という看板と紅白の幕が、もの悲しい雰囲気を盛り上げている。
建物の角に、朱に塗られた電柱が一本。その下部には「大塚車庫前」というホーローの看板、上部には赤地に白抜きの硝子看板があり、夜になると侘びしく点灯する仕掛けになっていた。その点灯袖看板の脇に一枚、運転手専用の確認板が付いていた。そこには、錦糸町、御徒町、うまや、伝通院等と描かれていた。電車が終点大塚駅に着く直前、運転士がこの看板を見上げる。どこかの文字に電気が点く。これで次の行き先を確認し、車両の行く先表示を変える仕組みになっていた。うまやとは、厩橋のことだ。
私はこの確認板が欲しくて堪らなかった。終点大塚駅のホーロー板よりも欲しかった。煉瓦造りのビルを通り過ぎざま、運転士がこの確認板を見上げる仕草が格好良かったからだろうか? 車庫の中がどうなっていたのかよりも、あの確認板の行く先の方が気になった。
大塚車庫は都営アパートになった。この前を通ると、ふと煉瓦ビルの隅に立っていた確認板のことを思い出す。
編集後記
この4月、深川で催されるアートイベントに参加することになりました。詳しいことは次号でお話し出来ると思います。大撮影大会なども計画中ですので、現代美術館などへいらっしゃることがありましたら、是非お立ち寄りいただければと思います。
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南大塚萬重宝アーカイブ・2004年2月号
http://arukuhibi.exblog.jp/29619300/
2018-07-07T15:08:00+09:00
2018-07-07T15:08:18+09:00
2018-07-07T15:08:18+09:00
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未分類
*******南大塚萬重宝***2004年2月1日号***
ヘッドラインニュース
敷地内に都電が置いてある南大塚公園のすぐそばに、『ハルキ』という板金屋がある。春木でも春樹でもなくハルキと書かれているところに、主人のこだわりが見て取れる。しかしこの店のお隣には、「村上」の表札がかかっているのだ。偶然なのか必然なのか、大塚で唯一文学の香りがする一角である。
サンモール大塚にあった魚屋『魚荘』が、どうやら閉店した模様。元々『島長』という大塚随一の魚屋があった場所で、島長撤退の後、魚荘が入ったという寸法。南砂銀座にある本店は活況を呈しているようだが、大塚に根付くことは叶わなかった。大塚人は魚が嫌いなのだろうか?
北大塚にある『大塚アイワハイツ』は、最近TVのロケ隊が出入りしている。何でも「相棒」という刑事ドラマで、水谷某演じる男の行きつけの店として、このビルの一階にある飲み屋が使われているそうだ。因みにこの店の隣に『ビッグハンドル』という名前のミニカー専門店がオープンした。
『美味斎』と共に大塚の中華をリードしてきた『安利餐』がなくなった。いつの間にか『飛龍』という名の中華屋になっていたのだ。今度は何となく普通の中華屋っぽい感じで、ここの切り干し大根ピザが大好きだった人間にはショックが大きい。しかしもしかするとこの店にも、強烈な味が潜んでいるかも・・・
大塚マンション物語
そんなにたくさん大塚にマンションを建てて、どうしようというのだろう? 昨年末すれすれに竣工した『センシア山手大塚』も満杯にならないというのに、町をちょっと歩けば建設現場だらけだ。
前述のセンシアは元タクシー会社の跡地で、百数十戸が入る大きな物件。都電の線路を挟んだ斜向かいには、やはり昨年完成したのに完売しない『デュークラディア山手大塚』がある。ガン研通りを池袋方向に歩くと、ガソリンスタンドの裏にあった医院と古いビルが壊され、『カテリーナ大塚』と『ルーブル大塚』が建つ予定。
都電の巣鴨新田電停近くには、チョコレート会社の社長宅&広い月極駐車場があったが、建て直されて『ファーコート・ロワジール』が先日完成した。その先の三叉路の左一帯は以外いつの間にか、町内の御輿倉を残して巨大な更地になり、『西巣鴨一丁目計画(仮称)』と書かれている。ガン研病院前には『ディナ・スカーラ大塚』、少し手前の神戸屋という料理屋の跡地には『日本エスコン大塚計画(仮称』、上池袋の交差点まで行くと、通りの両側がマンション建設中である。
南口に目を転じると、プラタナス通りに、現場が多い。出来たはずなのにいつまでも工事の警備員がいる『アクシルコート大塚』。やはり出来立てだが、煉瓦の外壁が霜降り生肉みたいな『エデルフロー』。もう張り巡らせた鉄扉が外されたのに名前が分からない『南大塚1丁目マンション(仮称)』。そして駅前のビルにモデルルームを作り、日が暮れても案内のお兄さんがぼんやり立っている『アーバンビュー新大塚』が、しんがりを勤める。
空蝉橋を渡ったエリアも殆どマンションが完成し、更には都電の向原電停を挟む春日通りは、超高層マンション計画がいくつもあり、既に完成している物件もある。
週末になると新聞の折り込み広告も、駅周辺のビラ配りもマンション一色となる大塚。山手線沿線に、今時こんなに建設ラッシュな駅があるのだ。建設会社にとっては、「そうだ、大塚があったっけ」そんな町なのかも知れない。こうして意味不明な気恥ずかしい名前が町中に広がり、その数は風俗店に迫る勢いである。
編集後記
いつも間借りさせて頂いている『WAVE the FLAG』のご厚意で、萬重宝のページがドカ〜ンとグレードアップ致しました。しかし内容は以前と変わりません。でも本人は「いつもいっぱいいっぱい」何ですけどね。新装開店した萬重宝、よろしくお願い致します。
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南大塚萬重宝アーカイブ・2004年1月号
http://arukuhibi.exblog.jp/29619297/
2018-07-07T15:06:00+09:00
2018-07-07T15:06:07+09:00
2018-07-07T15:06:07+09:00
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南大塚萬重宝
*******南大塚萬重宝***2004年1月1日号***
ヘッドラインニュース
南口プラタナス通りに、『富士屋アイスクリーム』という渋い甘味処があった。そのアイスが自家製なのか、美味しいのかは分からなかったが、このほど突然改装工事をして『228』というケーキ屋に大変身した。ここの228プリンが絶品である。とろけるような味は、店の名前を冠するだけの価値がある。因みに228は「ふじや」の数字化らしい。
天祖神社の真ん前にスーパー『島田屋』が出来た。いや、出来たというのは語弊があるかもしれない。この店舗は以前からスーパーがあって、ある時は『フジヤ』、またある時は『タジマ』と、どうにも落ち着きがない。品揃いがどう変わったのか、店員は同じなのかどうか、その実体はまるで分からない。オーナーは変わっていないという説も、まことしやかに流れている。
グレープフルーツ、パイナップル39円、みかん一箱780円、スウィーティー5円という,相変わらずぶっ飛び商売を続ける『スターフルーツ』。常連らしきおばさんが「あれ、あのお兄ちゃん、いないわね」の質問に、傍にいた店員が「あぁ、平井堅?」と言った。この店には平井堅がいるらしい。似ているのか同姓同名なのか? いやらしい顔して歌うのか?
ずっと気付かなかったが、界隈随一の有名居酒屋『串駒』が、いつの間にか日曜営業をするようになった。値段入りのお品書きも外に置いてある。経営方針に変化があったのかも知れないが、安くなったという話は聞かない。因みに、独立した愛想のいいここの料理長は、巣鴨で『井こし』という店を開いた。相変わらず酒も肴も良く、愛想もめちゃくちゃ良い。
大塚小野先生物語
南北大塚で最大の総合病院である『一心病院』が出来て、もう何年経つだろうか? 一時はマスコミも賑わすほどの注目を浴びたが、今は堅実に地元の安心処として定着した。かくいう私も、産婦人科と小児科以外の全ての科を制覇した。看護婦さんも皆親切で、夜間診療もしっかりしている、大塚では心強い存在だ。
ここの物療に小野さんという、背の高いなかなかクールな2枚目の先生がいた。もうひとりずんぐりした先生と名コンビで、患者の評判も良い2人だった。ある日この2人は病院を辞め、新大塚の近くに診療所を開いた・・・と、ここでこの2人の情報がプッツリ途絶えた。まぁ、行く機会がなければ、自然と疎遠になるものだ。
その後、何度か小野先生を町で見かけた。ちょっと渋めのスーツに大きな襟のシャツを着て、サングラスをかけた姿は、どう見ても水商売の出で立ちである。元々そういう仕事も出来そうな顔立ちだったし、すらりとした長身には、白衣よりブランドスーツのが似合いそうだったので、あぁ、遂に転職したんだなと思った。
更に数年の歳月が過ぎたついこの間、とある古いマンションの改装工事の現場で、ジャージ姿の小野先生を見かけた。これにはスーツ姿を見た時より驚いてしまった。聞けば、リフォーム屋をやっているという。昔相棒だった先生は、肥り過ぎから糖尿病になり、それが原因で視力を無くしてしまった。そのため診療所の出来なくなったので、仕方なく商売替えをしたとのこと。ただマッサージの技術がなまらないよう、今も住まいの近くで時々療治しているとか。
相変わらずの痩身に、年は取ったとはいえ色白の良い男は変わらない。「北口商店街でスナックもやってるから、よろしくね」とおどける口調もそのまま。一瞬、黒いジャージが白衣に見えた気がする。
編集後記
新年、明けましておめでとうございます。萬重宝も、二度目の年越しを致しました。2004年もろくな世の中になりそうもありませんが、そんな世間の流れをまるで無視して、大塚は相変わらず謎の日々を粛々と送るのです。今年も浮世離れした大塚噺をお届けしますので、よろしくお願い致します。
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南大塚萬重宝アーカイブ・2003年12月号
http://arukuhibi.exblog.jp/29597297/
2018-06-25T17:17:00+09:00
2018-06-25T17:17:53+09:00
2018-06-25T17:17:53+09:00
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南大塚萬重宝
*******南大塚萬重宝***2003年12月1日号***
ヘッドラインニュース
北口駅前に、以前『かにどろぼう』という料理屋があった。文字通りカニを食べさせる店だ。あっという間に消えた店の後は、ゲーセンになりケイタイ販売店になり、ネットカフェになったりした。当時から生きながらえているのは、地下にある『熟女専科ギルティー』だけだ。しかしこの建物も遂に取り壊される。建築許可票によると、ホテルが出来るという。軟硬どちらになるのかは不明。
大きな声では言えなが、最近界隈のホテルに、女子を送り込む姿が大塚で頻繁になってきた。その手の場所に電話をすると、女子がデリバリーされて、ホテルで怪しいひとときを過ごすらしい。その送迎車は一台や二台ではない。車の待機場所もあり、しかも女子にも分かるよう共通の目印が付いている。その女子達がやけに出入りするマンションもある。う〜ん、大丈夫か大塚・・・
寒さが身に染みる頃になると気になるのが、大塚在住のホームレスな人々である。居住防止のため、ガード下や立体交差の下に住まう人はまだいいとして、家財道具一式をショッピングカートに載せて歩いているおばさんが気になる。町のあちこちで立っているところをみると、決まったねぐらがないようだ。以前は吉野屋で朝ご飯を食べている姿も見かけたが、安住の地は開発出来たのだろうか?
スマップの振り付け師で、特異なキャラクターでバラエティー番組にも出るカバチャンが、大塚に出没しているという噂だ。某ショップで鏡を探す姿も目撃されている。大塚にはどっさりダンス教室があり、パパイヤ鈴木が通っていたという話もあり、振り付け師がいても不思議はない。しかし、実際この町にある教室の殆どは社交ダンス専門。カバチャンがどっちの教室を訪れたかは分からない。
大塚疑似原っぱ物語
大塚に原っぱがあった時代は、恐らく第二次大戦あたりを知っている人々にしかなかったであろう。ちょっとした空き地はあっても、それ以上のものはなかったと思う。しかしそれだけ大塚が開けていたというのとは違う。明治の頃は牧場なんかがあって、のどかな田舎丸出しだった大塚。それ以降は、単に建物が密集している町だったということだ。 従って高度経済成長時代よりこっち、この町で育った子供が駈けずり回るのは、転んだらそれなりの怪我を覚悟せざるを得ない裏道や路地であった。でも公園で遊ぶなどという堕落に及ぶことはなかった。ちょっとしたスペースが子供の目には広大な原っぱであり空き地なのだ。
たびたび萬重宝にも登場するスーパー『よしや』と、隣にある30階建ての高層マンションの敷地。ここには『永田精機』という機械メーカーの本社兼工場があった。いつ建てられたのかは定かでないが、子供心にボロっちいなぁと思わせる灰色の建物と、絵に描いたような町工場が一体になっていた。
しかしこの会社の玄関前が、今にして思えば殊の外モダンな造りだったのだ。車道からカーブを描いて短い坂を登るようになった車寄せがあり、またカーブしながら車道に出る仕組み。つまり車道から見ると、半円状に車が出入りする感じになっていた。
この玄関前の前庭が、格好の疑似原っぱだった。女の子はままごとをし、男の子はアリやトカゲを捕った。自転車で半円状の車寄せをひっきりなしに駆け抜けたりもした。でも一度たりとも怒られた記憶がない。永田精機の人は、会社の見た目と共に何とも鷹揚な印象がある。いや、いくら怒られても平気で遊んでいたのかも知れないが・・・
同じ敷地内の裏ッ手に、お化け屋敷のような古ぼけた建物が取り残されていたが、これがかつての王子電車の社屋だったという話を聞いたことがある。永田精機の建物の塀を隔てた向こう側には、都電が走っていたのである。
永田精機の工場は郊外に移転したが、その本社は、今も30階建てマンションの一隅にある。そして、勿論都電も仕方なく走る。
編集後記
あっという間に師走に突入しました。あと1ヶ月足らずで、平成15年の帳尻を合わせなくてはなりません。某国大統領ほどではありませんが、どうも計算通りことは運ばないですよね。結局は「まっ、いいか」でやり過ごすのです。この際12月は「まっ、いいか月間」ということで手を打ちましょう。皆様も無理をせずに、「まっ、いいか」くらいのスタンスで、良き年の瀬をお迎え下さい。
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誇張スレドモ嘘ハツカナイ
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南大塚萬重宝アーカイブ・2003年11月号
http://arukuhibi.exblog.jp/29597294/
2018-06-25T17:16:00+09:00
2018-06-25T17:16:22+09:00
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南大塚萬重宝
*******南大塚萬重宝***2003年11月1日号***
ヘッドラインニュース
大塚北口駅前にある『みずほ銀行』の入ったビルの一階に、遂に『スターバックス』が出来てしまう。イタトマもミスドも潰れた誇り高き町に、あの緑色の烙印が押されてしまうのだ。南口『三菱銀行』の一階には『タリーズ』が営業を開始しており、銀行&外資系コーヒー屋のセットは、南北大塚で覇を競う形になった。共倒れというのは、どうだろう?
北口商店街の奥にあった甘栗工場がなくなった。ぎっしり栗の詰まった巨大な麻袋を平気で土足で踏みつける姿は、「あの踏まれた甘栗が東京中に供給されるのだろうか?」と空恐ろしい様子を想起させたものだ。手狭になって引っ越したのか、完全撤退したのかは分からない。もし前者だとすると、きっと同じ東京の空の下、踏んで踏んで踏みまくられた栗が、より一層ばらまかれているに違いない。
スーパー『よしや』は、イオン水を無料で提供している。一度500円のポリタンクを買えば、あとは何度でも給水出来るシステムだ。お陰で『よしや』は、一日中ポリタンクをさげた人々が行き交う。思いの外遠くで、あのタンクを持つ人を見かけると、砂漠のオアシスめがけて水汲みにやって来る現地人のようだ。しかし密かに自前のタンクで水を貰いに来る、ちゃっかり者もいるオアシスでもある。
大塚の格闘技スポットと言えば角海老ジムの独占だったが、最近『ブリザード・ジム』というキックボクシングジムが出来た。ビルの二階なので様子はいまいち飲み込めない。見上げて確認出来る限りでは、女の子がやたら目に付く。その人々が単なるトレーニングに来ているのか、それともキックボクサーなのかは分からない。しかしその練習風景を見ると、どうも後者のように感じる。
大塚波多野医院物語
『波多野医院』は、大塚で最も真っ当なバー『第三倉庫』の先にある。専門は小児科と耳鼻科・・・いや、内科と耳鼻科か? そんなことはどうでも良い。なにしろご近所の人々は、大人も子供も赤ん坊も、みんな波多野さんのお世話になる。学校でうつされた風邪だろうが、お父さんの二日酔いだろうが、花粉症でもアカギレでも、とにかく病気になったら先ずここに行くべし。それが界隈で生まれ育った人間のシステムだ。
今でこそここはクリニックラッシュで、美容整形から肛門科まで大小様々な医者が開業しているが、かつては波多野医院こそが大塚北口の典型的町医者の見本であった。その全盛期は波多野ビルが出来る以前の、一軒家時代に遡る。
何故医院というものは一見洋館風な建築で、周囲に南国植物が植えられていたのだろう? ご多分に漏れず波多野医院も、まさに和洋折衷っぽい一軒家。周囲は大谷石の壁に囲まれ、入り口の脇にはシュロ等が立っていた。しかも玄関を開けたら、靴を脱がなくてはならなかったのだ。
真正面に待合室、その左側の部屋も間仕切りを外して、待合室その2という感じになっていた。スリッパを履いて空いている椅子に座る。診察券もなければ順番カードもない。見渡して自分が何番目という見当をつけ、後はひたすら待つのみだ。やってきた人は、みんなそんな見当をつけて待っている。診察室から一人出てくると、きっと自分だろうと思っている人が立ち上がる。それがまず間違いはない。あうんの呼吸とでもいうのだろうか。忘れてマンガを読んでいると、「ほや、坊やの番よ」なんて言われたものだ。
波多野医院はビルになり、会計窓口にいた奥さんは亡くなったが、今も中曽根元首相似の先生は元気だ。何十年も通い続けている私は着実に齢を重ねているのに、一軒家時代、既におじいさんだった先生は今もおじいさんで、先生の顔を見るたびにデジャブのような気分を味わう。
編集後記
選挙が始まると無差別電話攻勢や、駅前早朝演説(観衆ゼロ)や、ポスターを貼らせてくれ等、嫌がらせと紙一重の運動が活発になりますね。中には告示前から車で名前連呼をしていましたから。これが選挙終了と共に、お礼の一言もなしに、ものの見事に消え失せます。しかもさんざ邪魔をしたのですから、「当選しました、ありがとう」「落ちましたけど、またよろしく」くらいすべきでしょう。まぁそんな了見があったら、議員なんかにならないですか・・・
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南大塚萬重宝アーカイブ・2003年10月号
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2018-06-25T17:14:00+09:00
2018-06-25T17:14:41+09:00
2018-06-25T17:14:41+09:00
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南大塚萬重宝
*******南大塚萬重宝***2003年10月1日号***
ヘッドラインニュース
平日の朝、駅前を掃除する複数の集団の中で一番熱心にみえるのが、某自己啓発系の団体である。世界中に支部を持つらしい彼等は、時には夜でも掃除している。一方南口に会社がある「褐色の恋人」スジャータの社員は、社名入りの制服を着て、密かに好感度アップを狙っている。更にもう一組掃除班がいるのだが、未だ出処が確認できない。恐らくサラ金系だと思うが、分かり次第、また報告しよう。
ドリンク剤のCMで怪しいかつらを被って、「一本、いっとく?」と言うマッチョな外人、ハニホ・ヘニハさんは、CM出演中から北大塚の本格派トレーニングセンターに出入りしていた。実はハンサムで、日本語もペラペラ。それもそのはず、10年近く日本に住んでいるのだ。その彼の不法滞在というニュースを聞いた人も多いだろう。しかし、最近またジムに向かう彼を見かけるようになった。問題解決か?
あおい書店と熾烈な戦いを続ける山下書店だが、ある日正面入り口の周りにガチャポンを起き始めた。相次いで後方のドアの外にも、20台近いガチャポンを設置。更に正面の入り口脇に置いてあった雑誌をどかし、オモチャっぽいものを続々並べ始めた。これは山下書店駄菓子屋計画の一端とみた。確かに本よりは利益率の良いオモチャだが、これを書籍販売に繋げようとしているかどうかは不明。
都電の停留所近くの線路沿いから南大塚のイスラム教モスク方面に引っ越した居酒屋のぶは、相変わらず安くて旨い料理を多数提供し続けている。しかも土曜日と日曜日の昼間がお休みという、謎な営業体系もステキ。和洋様々なメニューがひしめく中、ピザを試して貰いたい。小振りの丸い鉄板に生地を伸ばしてシンプルな具を載せ、オーブンでこんがりと焼き上げたピザは、もちもち感溢れる一品だ。
大塚縁日物語
大塚駅南口を入ったところに、天祖神社という小体な神社がある。これといって特徴のあるものではないが、町の鎮守様であることには変わりなく、その氏子エリアは案外広範囲に渡る。商店街にも係わらずお稲荷さんがないのも不思議だ。
天祖神社は7の付く日が縁日である。今でも申し訳程度に屋台が数軒出張るが、区画整理以前の縁日といったら、界隈の一大イベントであった。現在の南口駅前は、大きくカーブする都電の線路の内側に、バス停とタクシー乗り場が陣取っている。昭和40年代、都電の線路のカーブはうんと小さく、線路の向こう側には不思議な広場があった。大きな木が数本生え、あとは使いにくい空き地といった風情。そして、かなり後になるまで、街頭テレビの柱が、「置き忘れられた大塚」の象徴として立っていた。
この広場が屋台で埋め尽くされるのである。しかも当時の商店街は戦後の闇市マーケットの名残が大勢を占め、至る所に路地があり、店がびっしり軒を寄せ合っていた。やってくる香具師達も、おそらくお馴染みばかりだったのであろう。バナナの叩き売り、粗悪品に近い瀬戸物を面白可笑しく売る人、中に重りを入れた繭玉をミニ滑り台から転がすオモチャと暦を売るおばさん、いつ同じメンバーだった。私のベビーカステラ好きは、この時代から始まる筋金入りの嗜好だ。
雑誌の付録屋を眺め、商店街を抜けて、数段の石段を上がると、またヘンテコな空き地があった。ここに見せ物小屋や立って打つパチンコ屋が出る。おどろおどろしい見せ物小屋の向こうに、天祖神社の社が見えるという寸法だった。
冒頭の区画整理によって、南口の商店街は悲しい普通の姿になった。屋台の出せる場所も雰囲気も激減し、空き地も皆無。啖呵売のだみ声も消えた。しかしあの頃、広大な空き地に思えた駅前と神社前の空間が、今、どうも納得出来ない。本当にそんなに広かったのか?私が小さかったから広く見えたのか?それとも妄想か?闇の中に裸電球が怪しく光る南口は、確かに大塚の子供達を吸い寄せていたのだ。
編集後記
ようやく秋がやって参りました。長時間歩く気がする季節です。思えば涼しい8月に暑い9月、おぞましい事件と大きな火事が続出、しかも地震・台風騒ぎに阪神優勝と、まさに緊張の夏でした。この尋常ならぬ事態がどこで大団円を迎えるのか、はたまた来年まで持ち越すのか、やや不安な秋到来でもあります。
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